初めて投稿します。人権を大切にしようと言いながら、その実、他人の人権を平気で犯しながら、当然のような顔をしている公的な立場の人が増えてきているような気がします。 人権を大切にとは、どういうことなのか、ゆっくり、じっくり考えてみたいと思います。 返信
1960年代に部落差別をなくす取り組みが要求され、特別措置法が制定されてからは、どんどん差別が減少してきていたが、その法的措置が期限切れを迎えてからは、また差別が増加しだしたのです。人の心だけに任せていては、無理なことが多いというのは情けない限りです。しかし、現実にそのような状況があるのですから、法的措置が必要なのは当然でしょう。特に近年、格差社会と言われて久しい。格差が進むと、やはり、社会の底辺で差別を被る人が、より一層苦しくなる。このような社会を変容させなければ、本当の繁栄はありえないと思われます。 まだまだ差別があるのに、「部落差別は解消された」という人たちが出てきたため、積極的に差別をなくすことをしなくなったともいわれています。差別の現実を見ないで、机上の空論で「差別はもうない」と勝手に言い切る人たちには、ぜひ、フィールドワークなどを通じて、差別の実態を目の当たりにしてほしいということで、不定期ながら、計画し案内をしています。希望があれば、ご連絡ください。 aikourei@hotmail.co.jp 返信
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初めて投稿します。人権を大切にしようと言いながら、その実、他人の人権を平気で犯しながら、当然のような顔をしている公的な立場の人が増えてきているような気がします。
人権を大切にとは、どういうことなのか、ゆっくり、じっくり考えてみたいと思います。
1960年代に部落差別をなくす取り組みが要求され、特別措置法が制定されてからは、どんどん差別が減少してきていたが、その法的措置が期限切れを迎えてからは、また差別が増加しだしたのです。人の心だけに任せていては、無理なことが多いというのは情けない限りです。しかし、現実にそのような状況があるのですから、法的措置が必要なのは当然でしょう。特に近年、格差社会と言われて久しい。格差が進むと、やはり、社会の底辺で差別を被る人が、より一層苦しくなる。このような社会を変容させなければ、本当の繁栄はありえないと思われます。
まだまだ差別があるのに、「部落差別は解消された」という人たちが出てきたため、積極的に差別をなくすことをしなくなったともいわれています。差別の現実を見ないで、机上の空論で「差別はもうない」と勝手に言い切る人たちには、ぜひ、フィールドワークなどを通じて、差別の実態を目の当たりにしてほしいということで、不定期ながら、計画し案内をしています。希望があれば、ご連絡ください。
aikourei@hotmail.co.jp