1960年代後半の高校一斉糾弾について

 私が高校に入学したのは1968年。同和対策審議会答申が出されたのが1965年。この答申の前文には同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法に保障された基本的人権にかかわる課題であることが記され、さらにその早急な解決こそ国の責務であると明記されている。

その答申から4年後の1969年に同和対策事業特別措置法が成立した。10年間の時限法であった。この年の12月に私が在学していた高校で一斉糾弾があった。その時のいきさつは次のようであった。

  同和教育の胎動期である1960年代後半、各地で同和教育に関わる数多くの問題が発生している。中でも兵庫県の高等学校においては育友会費闘争が引き金となり、同和問題の提起があり、同和教育を大きく前進させている。兵庫県姫路・西播地区では1969年12月8日に姫路市立飾磨高等学校でこの問題が発生し、近隣のほとんどの高等学校に波及した。当時の神戸新聞は次のように報道している。

 「育友会費でボーナス」市立高校教職員 自己批判で返済約束

 姫路の市立高校で先生が育友会費から研修費という名目で「ボーナス」を受け取っていたことが明らかになり、8日の生徒総会で全員が「自己批判」し、返済を約束した。これは同校生徒の一部が部落問題のアンケートをめぐって先生の差別意識を追求しているうちにわかったもので、背後には学校の教育姿勢の問題もあり紛糾は長びきそうだ。    

 このような新聞報道であったが、実際は少し違っていた。問題の発端は、飾磨高校の部活動の一つである同和班(後の部落問題研究部)の要求であった。同年11月22日・23日に広島県福山市で開催される全国高校生部落問題研究集会への同和班の参加申し出があった。これに対して学校側の対応は「参加させられない」というものであった。理由は、生徒会予算に同和班の予算枠がないためとのこと。予算枠がないこと自体も問題であるが、同和教育に積極的でないという姿勢自体が問題であった。同和班の部員たちは、「それならば育友会費があるではないか」と切り返した。育友会費は生徒の保護者が支払ったものであり、生徒のために使うのが本筋である。したがって同和班は理にかなった要求をしたまでである。これに対し、「育友会費にはそのような予算枠はない。育友会費には余裕がない」という学校側の返事。本当なのか、同和班は真偽のほどを確かめる必要があった。同和班は次に育友会費の帳簿を公開せよと要求した。このことにより、新聞記事の事件が明るみになったのである。

 同校は戦後からずっと育友会費のうちから夏と暮れのボーナス期に研修費の名目で一人に4,000円ずつ、年間計8,000円を先生や事務員に支給してきた。現在68人の職員がおり、年間約50万円が「ボーナス」として育友会費から出されていることになる。これまで各先生がもらった総額は勤続年数によってまちまちだが、最高16万円から2、3万円。研修費そのものが育友会費のうちの「機密費」のなかにはいっていて、少数の育友会員だけにしか知られていなかった。

 育友会費に「機密費」という勘定科目があることそれ自体に疑念を持たざるを得ないが、この「機密費」の中になぜ教職員の研修費が含まれていたのだろうか。おそらく育友会側・職員側双方共に公に知られては困るという認識があったからではないかと推測される。年二回(夏にそば代、冬には餅代と称していた)のボーナスの合計8,000円を受け取るということは、教師にとってはいい「小遣い銭」である。だが保護者の中には生活に困窮しながらも子どものために必死に努力し工面した「血のにじむようなお金」を支払っている人もいる。そのような貴重な育友会費から、職員に闇で支給していたのである。15日の4時限目から、8日ぶりに授業は再開したのだが、この事件を通じて、日頃から教師に反抗的な一般生徒がより一層反抗的になり、授業が成立しにくくなり、学校は荒れていった。同和教育の再構築のための紛糾が、単なる反抗的生徒を増長させてしまったことは否めない。


 また学校側15日、問題の発端となった同和教育について、同和教育費の新設、職員定数2名の増員などを、また、育友会費を本来の姿にもどすため、これまで同会費で肩代わりしていた学校運営費の市の全額負担、教師の研修図書費の県並み引きあげなどの教育予算の大幅増を要求する文書を姫路市教委に提出した。    

 上記では本来公費で負担するべきものまで保護者の負担としていたことが分かる。このような事件の推移により、紛争は終息に向かっていったが、残された問題は山積していた。まず①今後の同和教育のあり方について、②失墜した生徒や保護者との信頼関係をどのように再構築していくか、③乱れた風紀をどのように正していくか、などの困難な問題である。

     「教育のヒズミだ」 部落解放同盟姫路市協議会委員長の話

「差別を生み出すようなアンケートを平気で生徒たちに配る教育姿勢を追及するうち研修費の問題が明るみに出た。こんどの事件は同和教育に背を向けた教育のヒズミだ。実態をみないで意識や観念だけで対処しようとするところに誤りがある」

 当時の解放運動の活動家が神戸新聞に寄せたコメントである。育友会費流用事件は同和教育の原点を忘れてしまった結果の事件として考えられ、同和教育のさらなる実践を方向付ける機会となり、その進展がすべての生徒や保護者の人権を守る取り組みの一端として動き始めた。公教育の原点である「公費で賄うべきものは、保護者に負担させない」という教育の原点に戻させる原動力となった事件でもあった。この事件をきっかけに同和教育は急速に広まり、姫路市教育委員会・兵庫県教育委員会ともに重い腰を上げた。育友会を本来の姿に戻すことを目的に、本来公費で賄うべきことまで保護者負担の育友会費に背負わせていたことを停止させた事件である。そして、同和教育の重要性を再確認し、同対審答申に沿い、学校教育における同和教育の占める位置を確定させるきっかけとなった事件でもあった。


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