最近の人権教育といえば、ほとんど部落問題に触れることなく、他の人権問題ばかりに終始しているところが多い。しかし、どの人権問題にもその根底にあるのは、「自分さえよければいい」「他人の苦労なんて知らない」というような安易な考え方で、その場しのぎのきれいごとで済ましている傾向がある。このことは、結局、人権問題の根本的な解決にはつながらないのである。過去、歴史的社会的にも日本社会で一番重く解決が困難だった被差別部落に対する差別をなくすために、どれだけ多くの時間と多くの人の人智を得て取り組んできたのかを再確認することが、色々な人権問題を解決するための大きな糸口になると考える。これからは、このブログに事細かく細分して、定期的に取り組みの方法について検証してみようと思う。
2019年3月25日 フィールドワーク「姫路の食肉産業と被差別部落を歩く」 感想文集

1 この機会をいただけたことを本当に感謝しています。多くの学びと出会いの中で、自己の立ち位置の再確認ができました。定年は一つの通過点に過ぎないなと思うことができ、明日以降も子どもたち、仲間たちとともに歩みを続けていきます。
2 徳島市内において、被差別部落で食肉産業が営まれている。と畜する(命を奪う)ことで差別の目で見ている傾向が我々にあるのではないか。我々はスーパーマーケット・肉屋で肉を購入、食している。肉を食することができるのは、食肉産業に就いている人々がおられることを抜かしているのだろう。
ところで私が教職に就いたころ、同和教育が行われていたが、部落の起こりして、政治起源説が主流であった。その後、しばらく障がい者差別に接するようになってから、同和問題から離れてしまった。再び同和問題に接するようになって、部落の歴史について、さらに新しく学び直しをする必要があるのではないか。部落差別を知ることが、他の差別問題についての理解もでき、社会問題についても考える一助になるように、思える。フィールドワークについても、徳島県内の部落を何か所か訪ねたが、今回県外についても見ることができ、有意義であったと思っている。
3 「差別の現実に深く学ぶ」と言われて久しいですが、久しぶりに差別の現実に直接触れた気がします。廃屋の並ぶ街もそうですが、そういう現実もさることながら、自分の中にある差別的な部分に改めて気づけたように思います。
日々の生活の中でいろいろなおかしいと思うことに出くわして憤りを示してみてもなかなか理解してもらえず思い過ごしを思ってしまったりしていますが、道は長く険しいかもしれません。それでも少しずつ自分の中の差別的な部分を克服していければと改めて思えました。ありがとうございました。
4 フィールドワークに参加させていただき、食肉・皮革産業の現状や歴史を見ることができました。加工場では、衛生的に加工されている状況や雇用の現状など詳しく知ることができました。加工場で働く人々の出生地や国籍を知り、徳島の現状と類似しているところもあると感じました。
ムラを歩く機会を与えていただき、実態や現実を知ることができました。ありがとうございました。
5 今日一日大変お世話になりました。本当に学びが多い研修になりました。差別の現実を自分の目で見て感じて、考える場を与えて頂いたこと、とても感謝しています。教員として“知っている”ということは、本当に大切なことだと思います。この学びをぜひ子どもたちや仲間に伝えていきたいです。また、参加者の皆さんとつながれたことは今後の財産です。たくさん刺激を受けました。こういうパワーをもらえるのが同和教育のステキな所だと思います。午前中の学びやフィールドワークだけでなく、話し合ったり、考えを伝える手間をとっていただいたこともよかったです。
今はまだ整理しきれませんが、帰ってから自分の中にちゃんと落としていきます。お忙しい中、色々と無理を聞いて頂きありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
6 屠畜の現場を一度見てみたいと思っていたので、今日参加できて一つの目標をかなえられた気持ちです。以前、「ある精肉店の話」という映画を見たことがありますが、その伝統的な手法と食肉センターの違いにかなり驚きました。最新機械の設備もそうですが、若い人が働いている姿を見て自分自身が食肉センターに対して一面的に理解していたことを気づかされました。
野球のボールの工場で白い革を見ましたが、初めて工場で大量の野球ボールが生産されているのを見ました。父が働く工場に行ったことがありますが、工場も一つ一つ違うところも面白く感じました。しかし、パドル(タイコ)の音が聞こえなくなって寂しく感じております。(ちなみに、姫路ではタイコのことはドラムとも呼びますが、パドルというよりはバットルと言ったりしています)
ムラとムラがどのようにつながるのかを知りたかったので、地場産業のないの地区を歩いたのは本当に学びが多かったです。部落と言っても成り立ちも歴史も違うので、それをしっかり記録しながら、差別に抵抗するための手段を考えたいと思います。

7 地場産業のある地区とそうでない地区の地域実態を知ることができ、また姫路の現状を理解できたと思う。特に地場産業のある地区の廃屋・廃工場には驚きました。砥堀の道路の狭さにも住宅改善が進められていないのも感じました。地域活動(交流館)との地道な取り組みもよくわかりました。もっと、事業も知りたいので、次回、時間をとって訪問したいです。改めて知ったお二人の地域活動への取り組みに拍手です。負けないように私も頑張りたいです。70歳過ぎても知りたい気持ちは旺盛です。
8 食肉センターの見学については、肉づくりの高級な面が目に入ってきました。多分、最高級部位は口にはできないほど高価なものだろうし、それ以外の部位はあのセンターから外で作られているらしいでも、ハローワークで公募しても応えるのはムラの人か外国人だという現実もあるらしい。それはムラの産業だったからなのか…。こびりついて剥がすことのできない忌避意識。それが行為として現れる差別。克服するテコはどこにあるのかとまたまた考えさせられる。考え続けていることではあるが…。
一方、地場産業のない地区でのフィールドワークは、地域づくりについていろいろ考えさせられた。地域で暮らしが成り立っていくこと、どう成り立たせていくのかの課題。特に教育の課題について考えを巡らせられた。ありがとうございました。

9 食肉産業従事者のほとんどが部落の人とベトナムの人と聞いて、「部落差別の現実」をあらためて思いました。硬式野球ボールの革は今でも甲子園(高校野球)で使われているとの話、部落差別を考える。部落産業が世の中で必要とされていることも部落学習として大切だと思いました。地場産業のない地区でのハングル講座では単に語学でなく、在日の歴史、在日の差別の歴史など、同和教育の視点で取り組んでいるとの話は湊川高校や尼崎工業高校、都立南葛飾高校定時制で部落解放教育(同和教育)の視点から朝鮮語を導入したことと重なります。尼崎工業高校の朝鮮語も語学でなく、在日コリアンの方が教壇に立つその事自体、朝鮮語を通して差別意識をなくしていくことを目指しています。これら朝鮮語をなくしたら、先生の言っていた在日・渡日・日本人のかみ合わない状況や政治レベルの問題のみ(庶民の意識)になると思います。改めて同和教育の視点(解放教育の視点)を取り入れた朝鮮語の授業の必要性を感じました。
部落解放子ども会で、子どもたち自身が解放されていく生き方をすることは大切な営みだったと思います。その子たちを私たち大人が支えていく事、差別する側の問題として、私たちの問題として考えていく取り組みを、今後どう取り組んでいくかが私たちに問われている。学校に行ったら学校の先生が部落の子を支えてほしいと尼崎のムラの方に言われた言葉をかみしめながら。本日はありがとうございました。

10 食肉センターでの屠畜された牛から枝肉が作られる過程を見学させていただいたが、牛肉観が大きく変わりました。牛舎での牛の見学はよくしています。店頭に並ぶ肉もいつも見ています。牛舎の牛から店頭の肉になるまでのこの過程をしっかりと見学することができました。ベトナム人と部落の人が働いているという話は様々なことを考えさせられます。ここにも忌避意識があるのでしょうか。これは差別なのでしょうか。しかしこの現実に今何ができるのかというと答えは見つかりません。差別という観点だけでなく、職業観・勤労観のあり方、考え方にも何か手を付けていかなければならないと考えます。このようなフィールドワークは2回目でしたが、やはり新しい気づきがありました。この気づきを自分の生き方・考え方に活かしていけるように思います。たくさんありました。きょうは本当にありがとうございました。
11 屠場の見学機会がありますよ、学校教員との交流も友人から案内を頂いて、大阪の熊取から車を走らせてきました。加古川の食肉センター見学の時もそうでしたが、今はガラスの向こうの作業でないと見られないのですね。午後の交流会で先生がおっしゃったように、その後の補足の話が大切で、センターの方は従業員女性に公募で来られている方もおられるような立ち話での発言がありましたが、社員さんの話として、中心を担う会社では部落出身者が県内各地から来られているというのは、なるほどと現状認識を持ちました。肉・皮革という産業があっても空洞化というのは差別の現実と。
私は三重の津の同推校で学びましたが、同窓会で聞いたら、中南米出身の子どもが多くなっているとのこと。歩いたら、空き家が目立つのも共通です。県庁所在地ですが。また機会がありましたら、よろしくお願いします。
12 コリアンタウンのフィールドワークには何回か生徒を連れて行ったことがあります。その中で在日の渡日した経緯や仕事、生活について生徒とともに考えました。
今回のフィールドワークでも消費する側の視点だけでなく、生産する側の視点、地域の悩みなどを考えさせられました。生徒のこれをどう還元できるかはまだ整理ができていませんが、他の教員には明日以降さっそく伝えてみたいと思います。焼肉や硬式野球のボールを通して、社会の実態や地域の生活、人々の抱える悩みなど、様々なことを考えることができると思います。
私自身、教員を目指すきっかけとなった本が岩波新書の「バナナと日本人」という本でした。一つの事柄を多面的に見ることによって、問題やつながりが見えてくるのではと思います。ありがとうぞ座いました。
13 お忙しい中、フィールドワークの準備やお話ありがとうございました。地域の課題とまちづくりの展望、教育が担うことは何かなど、フィールドワークをしながら、考えることがたくさんありました。自分が関わっている子どもたちも厳しい家庭状況、貧困、虐待など様々な課題を背負わされています。本当に人権教育を進めていかないとと思う毎日です。
食肉センターの近代化、機械化された設備に驚きつつ、一般公募ではなかなか来ない現実を知る。こうした背景にある差別の現実にまで意識を向けないと見ようとしなければ見えないということを実感しました。きょうの学びが自分の市に持って帰りたいと思いますし、自分に返していきたいと思います。ありがとうございました。
14 本日は様々な研修・フィールドワークを提供していただきありがとうございました。今回は特に屠場の見学を楽しみにしてきました。私が支援加配として関わっている杭ノ瀬子ども会では、調理実習の際に食肉の学習をしており、大阪府貝塚市にある北出精肉店について学習しています。本や映画の予告編では、屠場のことを知ることがありましたが、今回実際に屠場を見学できたので、このことをまた子どもたちに返していけたらなと思います。
皮革工場については、現在の勤務校の隣の中学校区の部落の産業が皮革なので、鞣しの工程などは見学したことはありました。そこも工場がどんどん縮小ややめてしまうところもありますが、皮革産業の地区の状況には驚きました。道具などは残っていながら、も人はいないという工場がとても多いなと感じました。
フィールドワークでは、和歌山市内を含めていろんなところを見学させてもらっていたので、姫路にも同じような光景があるなと感じました。一日研修ができて、とても勉強になりました。ありがとうございました。
15 今回初めてフィールドワークに参加しました。自分自身が中学生だったころに得た知識や職について聞いたことが、フィールドワークをして、実際に自分の目で見、足で歩くことで初めて実感を持てたような気がします。「部落差別はなくなった」という声も聞いたことがありますが、現実の話として、部落地域では、空き家が多く、独特の雰囲気を感じました。その実感を持てたことが、私にとっての収穫だと思います。途中、「差別」を認識する能力の話が出ましたが、やはり、知識を教えられただけでは、それは育ちにくいと感じました。どうしても、身の回りの事とむすびつけにくく、覚えるだけで止まってしまいます。教師だけ、学校だけではなく、地域ぐるみで人権の感覚だったり、歴史、意識を伝えていく必要があると感じました。多角的な見方をできる環境を整えることが能力を伸ばす一歩だと改めて思いました。本日はこのような会をもっていただき、本当にありがとうございました。また、このような会があれば、ぜひ参加したいと思います。
食肉産業と皮革工場の見学とフィールドワークを終えて
先日、3月25日に実施したフィールドワークは食肉センターと皮革工場の見学をしたのちに、2か所の被差別部落を散策しました。参加者は遠くは山陰の島根県や四国の徳島県、近畿地方の和歌山県、大阪府、兵庫県内からと多方面から来られました。忙しい中、ハードスケジュールでしたが、実りある研修交流会になりました。新たな発見と新たな交流、そして温かなつながりを持てて本当に良かった。いままで、話で聞いていたことと現実は少し違う部分もあることに気が付かれた人が多く、新たな発信をしていく必要性を痛感したということです。今回の実施は、昨年11月に開催された全国人権同和教育研究大会でたまたま夕食を共にした仲間の二人と、「現地学習のフィールドワークをやりたい」ということになり、実施したということなのですが、少人数でやるよりも少し増やしてみようと思い何人かに連絡すると、年度末の忙しい時期ながらあちこちから集まっていただき実施できたということなのです。また要請があれば、このような企画を立てたいと思います。
1960年代後半の高校一斉糾弾について
私が高校に入学したのは1968年。同和対策審議会答申が出されたのが1965年。この答申の前文には同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法に保障された基本的人権にかかわる課題であることが記され、さらにその早急な解決こそ国の責務であると明記されている。
その答申から4年後の1969年に同和対策事業特別措置法が成立した。10年間の時限法であった。この年の12月に私が在学していた高校で一斉糾弾があった。その時のいきさつは次のようであった。
同和教育の胎動期である1960年代後半、各地で同和教育に関わる数多くの問題が発生している。中でも兵庫県の高等学校においては育友会費闘争が引き金となり、同和問題の提起があり、同和教育を大きく前進させている。兵庫県姫路・西播地区では1969年12月8日に姫路市立飾磨高等学校でこの問題が発生し、近隣のほとんどの高等学校に波及した。当時の神戸新聞は次のように報道している。
「育友会費でボーナス」市立高校教職員 自己批判で返済約束
姫路の市立高校で先生が育友会費から研修費という名目で「ボーナス」を受け取っていたことが明らかになり、8日の生徒総会で全員が「自己批判」し、返済を約束した。これは同校生徒の一部が部落問題のアンケートをめぐって先生の差別意識を追求しているうちにわかったもので、背後には学校の教育姿勢の問題もあり紛糾は長びきそうだ。
このような新聞報道であったが、実際は少し違っていた。問題の発端は、飾磨高校の部活動の一つである同和班(後の部落問題研究部)の要求であった。同年11月22日・23日に広島県福山市で開催される全国高校生部落問題研究集会への同和班の参加申し出があった。これに対して学校側の対応は「参加させられない」というものであった。理由は、生徒会予算に同和班の予算枠がないためとのこと。予算枠がないこと自体も問題であるが、同和教育に積極的でないという姿勢自体が問題であった。同和班の部員たちは、「それならば育友会費があるではないか」と切り返した。育友会費は生徒の保護者が支払ったものであり、生徒のために使うのが本筋である。したがって同和班は理にかなった要求をしたまでである。これに対し、「育友会費にはそのような予算枠はない。育友会費には余裕がない」という学校側の返事。本当なのか、同和班は真偽のほどを確かめる必要があった。同和班は次に育友会費の帳簿を公開せよと要求した。このことにより、新聞記事の事件が明るみになったのである。
同校は戦後からずっと育友会費のうちから夏と暮れのボーナス期に研修費の名目で一人に4,000円ずつ、年間計8,000円を先生や事務員に支給してきた。現在68人の職員がおり、年間約50万円が「ボーナス」として育友会費から出されていることになる。これまで各先生がもらった総額は勤続年数によってまちまちだが、最高16万円から2、3万円。研修費そのものが育友会費のうちの「機密費」のなかにはいっていて、少数の育友会員だけにしか知られていなかった。
育友会費に「機密費」という勘定科目があることそれ自体に疑念を持たざるを得ないが、この「機密費」の中になぜ教職員の研修費が含まれていたのだろうか。おそらく育友会側・職員側双方共に公に知られては困るという認識があったからではないかと推測される。年二回(夏にそば代、冬には餅代と称していた)のボーナスの合計8,000円を受け取るということは、教師にとってはいい「小遣い銭」である。だが保護者の中には生活に困窮しながらも子どものために必死に努力し工面した「血のにじむようなお金」を支払っている人もいる。そのような貴重な育友会費から、職員に闇で支給していたのである。15日の4時限目から、8日ぶりに授業は再開したのだが、この事件を通じて、日頃から教師に反抗的な一般生徒がより一層反抗的になり、授業が成立しにくくなり、学校は荒れていった。同和教育の再構築のための紛糾が、単なる反抗的生徒を増長させてしまったことは否めない。
また学校側15日、問題の発端となった同和教育について、同和教育費の新設、職員定数2名の増員などを、また、育友会費を本来の姿にもどすため、これまで同会費で肩代わりしていた学校運営費の市の全額負担、教師の研修図書費の県並み引きあげなどの教育予算の大幅増を要求する文書を姫路市教委に提出した。
上記では本来公費で負担するべきものまで保護者の負担としていたことが分かる。このような事件の推移により、紛争は終息に向かっていったが、残された問題は山積していた。まず①今後の同和教育のあり方について、②失墜した生徒や保護者との信頼関係をどのように再構築していくか、③乱れた風紀をどのように正していくか、などの困難な問題である。
「教育のヒズミだ」 部落解放同盟姫路市協議会委員長の話
「差別を生み出すようなアンケートを平気で生徒たちに配る教育姿勢を追及するうち研修費の問題が明るみに出た。こんどの事件は同和教育に背を向けた教育のヒズミだ。実態をみないで意識や観念だけで対処しようとするところに誤りがある」
当時の解放運動の活動家が神戸新聞に寄せたコメントである。育友会費流用事件は同和教育の原点を忘れてしまった結果の事件として考えられ、同和教育のさらなる実践を方向付ける機会となり、その進展がすべての生徒や保護者の人権を守る取り組みの一端として動き始めた。公教育の原点である「公費で賄うべきものは、保護者に負担させない」という教育の原点に戻させる原動力となった事件でもあった。この事件をきっかけに同和教育は急速に広まり、姫路市教育委員会・兵庫県教育委員会ともに重い腰を上げた。育友会を本来の姿に戻すことを目的に、本来公費で賄うべきことまで保護者負担の育友会費に背負わせていたことを停止させた事件である。そして、同和教育の重要性を再確認し、同対審答申に沿い、学校教育における同和教育の占める位置を確定させるきっかけとなった事件でもあった。
あらゆる差別をなくすためには
人権が重んじられる社会とは、あらゆる差別がなくなった社会になることですが、実際にはなかなかそう簡単にはいかない。日本の社会には数多くの人権侵害が存在している。歴史的社会的に最も根強いものとして、部落差別がある。次に近隣諸国の人たちへの蔑視・差別、在日外国人への差別、特に在日コリアンへの差別には辟易してしまうほどである。障がい者差別もしかり、女性差別、沖縄・アイヌ民族への差別と数多くある。これらの差別をなくすためにはどのように取り組んでいけばいいのか、真剣に考えてみよう。近代社会に存在していた強烈な差別は、被差別者の立ち上がりにより、国民全体の意識改革を目指して運動し、少しずつ減ってきたのも事実である。だが、近年、また差別事象が増加している。格差社会に進んでいる日本では、苦しい人たちがお互いを憎しみあい、ヘイトスピーチや差別的言動を繰り返すことにより、自分たちは違うんだと自己暗示にかけ、弱い者いじめをしている。そのことに「悪い」という意識すら持ち合わせない。そういう人たちは「自分は差別される立場にはならない」と確信しているのでしょう。「自分はは生まれてから死ぬまでの間に、絶対に差別される者にはならない」という保証はない。交際相手や結婚相手に被差別者がいる場合がある。自分がいつ体に障害を持つようになるかもわからない。このようなことをじっくりと考えてみる必要性を強調していきたい。
フィールドワークの意義
「百聞は一見に如かず」という言葉があるように、被差別部落の実態を見もしないで、「部落差別は解消された」という言葉を言う人がいる。それを聞いた被差別部落の人はどう思うだろう。実際に完全に差別がなくなっているのなら、なんとも思わないだろうが、少なからず差別が存在している限り、「部落差別は解消された」という言葉自体が、差別と感じる言葉になってしまうということを考えなければいけない。本当に差別がなくなったのか否かは現地に行き、被差別の当事者に案内をしてもらいながら、差別の有無を聞くことが一番確実なことである。ところが、実際に現地に行こうにもどこが被差別部落なのかも分からない場合が多い。差別をなくすために、カミングアウトして、積極的に地域を案内している人たちがいる。そんな人たちを頼りに、地域のフィールドワークを実施してもらうことが確実な方法である。私はこれまでに十数回案内してきた。参加した人の感想は様々ですが、確実に言えることは異口同音に「差別があるということが分かった」ということでした。近々、来る3月25日(月)にはそのフィールドワークを実施する予定。もしも参加希望があれば、メールアドレスを知らせていただければ、実施要項を送信します。ぜひこの際、差別者にならないためにも、現地の事情を知るということに着目していただきたい。
「部落差別は解消された」のか?
1960年代に部落差別をなくす取り組みが要求され、特別措置法が制定されてからは、どんどん差別が減少してきていたが、その法的措置が期限切れを迎えてからは、また差別が増加しだしたのです。人の心だけに任せていては、無理なことが多いというのは情けない限りです。しかし、現実にそのような状況があるのですから、法的措置が必要なのは当然でしょう。特に近年、格差社会と言われて久しい。格差が進むと、やはり、社会の底辺で差別を被る人が、より一層苦しくなる。このような社会を変容させなければ、本当の繁栄はありえないと思われます。
まだまだ差別があるのに、「部落差別は解消された」という人たちが出てきたため、積極的に差別をなくすことをしなくなったともいわれています。差別の現実を見ないで、机上の空論で「差別はもうない」と勝手に言い切る人たちには、ぜひ、フィールドワークなどを通じて、差別の実態を目の当たりにしてほしいということで、不定期ながら、計画し案内をしています。希望があれば、ご連絡ください。
人権教育のすすめ
人権教育とは難しく考えがちですが、私たちが社会生活をしている中で、当然にあるべき姿を考える教育なのです。だから、一つひとつじっくりと見ていくことで、分かりやすく実践しやすくなります。自分の人権と他人の人権をしっかりと見ることができれば、取り組みはそんなにむずかしくなりません。これからは日に日に、分かりやすく説明していきます。そして、私自身の思いを綴っていきます。
人権感覚
近年、世相がそうさせているのか、他人の人権を踏みにじることが多くなってきているのではないかと危惧しています。自分たちの権利は主張するのに、他人の人権はどうでもいいというような不道徳な輩が公衆の前に出てきている。社会的リーダーであるべき人たちの中にも、このような人物が増えてきていると思うのは私だけなのか。このような状況では、差別をなくすどころか、増大してきているように思われて仕方がない。今こそ、人権感覚とは何か、自分を守ることと他人を守ることの両輪を大切にしないと、結局は自分も守れないことになってしまうということは、先人たちからよく聞かされてきている。果たして本当にそうなのかをじっくりと考えてみましょう。
人権意識の高揚
人権と言えば、何か小難しいことと言うように思い、敬遠される方もおられるかと思いますが、けっして難しいことではなく、また、しんどいことでもないのです。「自分の心がほっとする」ことです。これから、そのほっとすることを届けていきたいと思います。